9月1日からプロフェッショナル週間が本格的にスタートして、参加する写真家たちの数もどっと増えた。昼間は、テレビ、新聞のインタビュー、そしてギャラリートークをこなして、夕刻になると、National Geographicをはじめとするメジャー雑誌主催のカクテルパーティーに出かける。写真家、編集者たちで溢れかえるその席で、D,D,Duncanと Jhon Morrisから私の写真展を絶賛されたのには驚いた。D,D,Dは、LIFE誌の特派で朝鮮戦争を取材し、数々の名作を残したことで知られているが、その折にニッコールのレンズを使ってその優秀性を証明してくれたことで、日本のカメラが世界に飛躍するきっかけを作ってくれた、カメラ業界にとっては大恩人でもある。もう一人のJohn Morrisは、LIFE誌をはじめとするグラフジャーナル編集の先駆者である。ふたりとも93歳、94歳 という超高齢にもかかわらず、フォトジャーナリズムの熱気に惹かれてPerpignanまで来ていることが凄い。
翌日にはLE FIGARO誌のパーティーがあった。ごったがえしている会場に行くと、驚いたことに、刷り上がったばかりの最新号が見開いてずらりと並べられてあり、なんとその写真が、私の「砂丘を歩く少年」なのである。FIGAROが「NOMACHI特集」をやるとの不確かな情報を出発前から聞いてはいたが、8ページの特集記事をパーティー会場で、本人がはじめて目にするなど、驚きあきれるほかはない。他にもSunday Times誌、PHOTO誌にもナイル、メッカが見開きで掲載されており、その他数え切れないくらいに露出していたことは、今年のPerpignanで私の仕事がかなりの注目を集めたということだろう。
大御所ではWilliam Kleinが、杖をつきながら写真展会場をじっくりまわっており、そして多くの若手たちが、作品とパソコンを抱えて、各通信社のブースや編集者に食い下がって売り込みを図っている。そして毎夜9時50分からは、幅30メートルはあろう巨大スクリーンで、ハイチ震災やメキシコ湾原油流出、アイスランドの火山噴火をはじめとする”生写真”やD,D,Dの朝鮮戦争が圧倒的迫力で映写される。
そして様々な賞の受賞者たちが、各々8000Euroの賞金小切手を高々と掲げて、晴れがましくスポットライトを浴びる。
近年になく刺激に満ちた一週間だった。日本の若い写真家たちにもぜひ参加してほしいものだと思う。
—– 9月5日、暮れゆく地中海沿いを、PerpignanからBarcelonaに向かう列車のなかで—-
カテゴリーアーカイブ: 写真展
VISA POUR L’IMAGE 2010 PERPIGNAN
ペルピニアン・フォトフェスティバル2010
フォトフェスティバル(22nd International Festival Of Photojournalism )で写真展の招待を受け8月28日からフランスのペルピニアンに来ている。フランス西南部、スペイン国境に近く、カタルニア文化の影響を色濃く残した古都であるが、9月12日までの2週間、街はフォトジャーナリズム一色に染まる。PARIS MATCH、National Geographic 、GEOなど欧米の主要グラフメディアをはじめとする編集者、フォト・エージェンシー、そして、新人、ベテランを交えた大勢のフォトジャーナリストたちが世界中から駆けつけている。
フェスティバルの呼び物は、世界報道写真展をはじめとして同時開催される27の写真展である。教会や中世然とした倉庫などを活用した8カ所の会場に分散するそれぞれの個展は、全紙サイズで50点を単位としており、それに規模の大きな報道写真展を加えると、招待作品だけで優に1500点に及ぶ大規模なものだ。それ以外にも通りのカフェの壁面などを使った自主制作展が到る所で開催されており、今年で22回目を数える主要な写真展には20万人が足を運ぶ。展示作品は、戦争、犯罪、環境問題などを扱ったシリアスで重量級の作品が多く、じっくり見てゆくとさすがに疲れる。だがどの会場でも、一般の観客たちが、キャプションを読みながら写真とじっくり向き合っており、欧米社会におけるフォトジャーナリズムの裾野の広さが、まだまだ健在であることを実感させられる思いである。
金融危機以降、雑誌広告が細ったこととインターネットなどのメディアに押され、苦闘がささやかれる欧米のグラフ雑誌であるが、それでもミリオンに近い部数を保っているメジャー誌がフランスやドイツでは健闘している。グラフメディアが壊滅して、フォトジャーナリズムが死語と化してしまった日本から来ると、写真を受容する社会の厚みを実感させられる思いだ。
そして夜になると、広場に設けられた特大のスクリーンを使った、趣向を凝らしたショーが夜ごと繰り広げられる。
街を歩いていると、見ず知らずの人たちにしばしば呼び止められ、「砂漠を歩く少年の写真がすばらしい」とか「メッカにどうやって入ったのか」などと訊かれる。展示作品の解説パネルに写真家の顔写真があり、しかも滅多にいない日本人であることからすぐに顔が割れてしまう。日本では無いことだ。
ちなみにフォトフェスティバルへの日本人写真家の招待は、3年前の長倉洋海さんに次いで私が二人目だという。実は1998年に一度招待されたことがあったが、日程が合わなかったうえに、ペルピニアン?フォトフェスティバルについて何の知識も持っておらず流してしまったという経緯があった。
今はリタイアしているNational Geographic誌の編集者と14年ぶりに再会して旧交を温めるなど、様々な出会いを楽しんでいる。ペルピニアンも夏は暑いと聞いていたが、日射しは強いものの、酷暑の東京とは比較にならない涼しさで、夜は上着なしでは肌寒いくらいだ。
『等身大の射手』と『ライラトル・カドルの礼拝』
東京都写真美術館・聖地巡礼展の巨大プリント「ライラトル・カドルの礼拝」は、地上85メートルのミナレット(光塔)のテラスから撮影したものです。この写真と向き合っていると、”神の視座”とも言えるあの場所から、100万人が心を一つにして繰り広げる祈りの姿を見下ろして抱いた”畏れ”に近い感情がまざまざとよみがえってきます。これからの写真家人生で、これほどの圧巻に立ち会う機会は2度と無いであろうと、しみじみと思います。
(日本写真家協会・田沼武能会長と)
そしてもう一方は、六本木ミッドタウンのFUJIFILM SQUAREで開催中の「写真で旅する世界遺産展」 http://fujifilmsquare.jp/ の「等身大の射手」の等身大プリント。約5000年前、サハラが緑に覆われていた時代に描かれたものですが、1978年に撮影して以来、身長1,8メートルのこの射手と30年ぶりに再会を果たした気分です。麓のオアシス・ジャネットで大量に買いこみ、石のように硬くなったフランスパンを石で砕き、スープで戻し流し込みながら、壁画探索に明け暮れた若かりし日々がよみがえってきました。
(壁面構成デザイナー・佐村憲一さんと)
聖地をめざす人々
以下は、現在、東京都写真美術館にて開催中の「聖地巡礼」展の挨拶文です。写真展図録には収録されておらず、観覧者の中に、そのことを残念がっていた方々がいたためここに収録いたします。
聖地をめざす人々
イスラームの聖地であるアラビアのメッカから、カトリックの総本山ヴァチカンへ。熱烈な仏教信仰が息づく極限高地チベットから、エチオピアとアンデスに受け継がれた独特のキリスト教世界まで。そして、アジアの信仰の源流であり、多彩なインド世界を貫く、祈りの川ガンガー(ガンジス)へと、地球上に息づく濃密な宗教聖地を巡ってきた。
私が宗教と向き合うきっかけは、20代半ばで訪れたサハラでの体験だった。乾燥の極地に点在するオアシスで暮らす人々にとって、生命線はひとつの泉である。枯れることのない泉こそは神の賜物であり、生かすも滅ぼすも神の意志ひとつであるとする明解な信仰がそこにはあった。人々の祈りには、日々、無事に生かされていることへの感謝が滲み出ていた。
一方で、砂と風と星々の煌めく砂漠は私を魅了した。地平線のなかでキャンプした日々、満天の星空を眺めながら、この天空はるかに宇宙的スケールですべてを司るなにかが存在するかも知れぬ、という思いを受け入れるのに違和感はなかった。聖地とは、超越した或る存在と向き合い、心をひらく空間である。その点では私がこれまで巡ってきた土地は、私自身にとってもかけがえのない聖地であったと言える。祈りのかたちは様々であるが、巡礼を終えて達成感に輝くその表情は宗派を超えており、心の琴線にふれた充実感にあふれていた。
一方で私たちの社会は、この数十年来、生産性の亡者と化し、宗教的な空間を非合理なものと決めつけてひた走ってきた。その結果、世代を超えて受け継ぐべきことの核心が見えにくくなっている。とくに最近頻発する、突発的な心の崩壊によって引き起こされた事件の異様さを突きつけられるたびに、生きる枠組みが容易に見えなくなっているこの社会の難しさを思い知らされる。
宗教について語るとき、私は”宗教”を”家族”という言葉に置きかえてみれば平易に理解できるのではないかと思う。濃密な家族の絆が社会の核となっているイスラーム世界を見ているととくにそう思わされる。どの宗教であれ、教えていることは、世代を超えて受け継がれてきた生きるエッセンスの集積そのものなのである。
40年にわたって撮り続けてきたこれらの作品を、混迷の現代を映す、ひとつの合わせ鏡としてご覧いただければと思います。
野町和嘉
「写真で旅する世界遺産 」展とトークショー
FUJIFILM SQUARE(URL: fujifilmsquare.jp )にて、「写真で旅する世界遺産 」展が開催されている。
第1部 自然遺産編 2月27日-3月25日
第2部 文化遺産編 3月27日-4月27日
● 野町和嘉トークショー:4月4日
午後3時-4時半 FUJIFILM SQUARE
自然遺産編では、私の出品作品は全67点中6点であるが、文化遺産編では、全78点中35点と半数近い。これまで世界遺産をとくに意識して撮影してきたわけではないが、地球上に存在する巨大スケールのランドスケープ、一級の文化遺産の大半は世界遺産に指定されており、リストアップしてみると、あれもこれも世界遺産だったというわけである。
第2部 文化遺産編では、サハラ、タッシリ・ナジェールの先史壁画「等身大の射手」が、縦3000×横3750という超大型プリントで展示される。射手の身長が1,8メートルあり、それを等身大で見せようというわけだ。
タッシリ・ナジェールを取材したのは、1975年と1978年のことで30年以上も昔のことだ。’78年には、トゥアレグのガイドとラクダ4頭のキャラバンを組み、約一ヶ月間タッシリの山中をくまなく歩いた。先史人と同じように岩陰にキャンプしながら、4″×5″版の大型カメラを使って、約8000年前から描き続けられた先史壁画のすべてを記録した。20代から30代にかけて、体力と好奇心にまかせてサハラを自分の庭のように歩き回ったあの時代が懐かしい。生きものの気配もない、死の沈黙に覆われた極限の乾燥地で遭遇した射手の、等身大の姿との”再会”を楽しみにしている。