北緯29° 6′ 14.50″/西経1° 3′ 8.84″

北緯29° 6′ 14.50″/西経1° 3′ 8.84″

Google Earthがおもしろい。
私が常用しているデスク・トップのモニターは、ナナオのCG241W。24インチの大型で相当に高性能なものであるから、この画面でどんどんズームアップしてゆくと、地上の諸相をかなりのディテールまで読みとることが出来る。

夜中などに、しばしばこのEarthのなかに探索にでかけるのだが、私が焦点を合わせるのは決まって北アフリカである。20代から30代にかけて、ヨーロッパから持ち込んだ4WDを駆って、悪戦苦闘しながら走り回った、サハラの地平線やナイル川沿いの悪路を、30年後のいま、宇宙からの眼で、まるでパラシュートで降下するような感覚で、ズームインしながら追体験するのは、それはそれでスリリングな体験だ。

1970年代の日本から見れば、アフリカの内陸部は、地図上の空白地帯に等しいくらいに情報は乏しかった。唯一信頼に足るミシュランの道路地図を頼りに、オアシスからオアシスへ、陽炎にゆらめくサハラの地平線に踏みだしていった。そして熱気がやわらいだ夜、満天の星空のもと、沈黙の空間のなかで癒されながら何ヶ月も旅を続けた。そのルートをGoogle Earthで追体験しながら、当時、ナツメヤシの木陰に土壁の小屋が並ぶだけのうら寂しいオアシスが、いまや空港を備えた都市に変貌してしまっていることに嘆息したり、時間の止まったままの”永遠のサハラ”のようなオアシスに遭遇し、かつてそこで過ごした日々が、まるで昨日のことのように鮮明に甦ってくる記憶に遊びながら、しばし夜の更けるのを忘れるのである。

ここに添付した「砂丘の谷間の植物」、この写真は、はじめてサハラに行ったときのものだが、撮影場所を、Google Earthで特定できたときの興奮を忘れることができない。

その日の前後を記した拙文をここに引用してみよう(「サハラ縦走」岩波書店、同時代ライブラリー、1993年刊行より)。

- 2日目の夕刻、私たちは最終目的地アドラルを折り返し、北に向かって走っていた。
夜の砂漠を走る。それは奇妙なドライブ感覚だ。月明かりにかろうじて判別のつく地平線のなか、ふたつのヘッドライトに照らし出される前方20~30メートルの黒いアスファルトだけが視界にあった。連日の強行軍で2人とも疲労の極にあったが、神経だけは研ぎ澄まされていた。2人のうちどちらがハンドルを握っていたのか想い出せないが、いずれにせよ2人とも、前方の光のなかだけを睨んでいた。ハンドルを握って、手と足を小刻みに動かしている方が、まだしもその重圧を紛らすことができた。
大きなカーブを曲がるたびに、私たちは方向感覚を失った。今、北に向かっているはずだったが、逆方向だと思いこんでしまうと、もうそれを打ち消す根拠はないように思われた。しかし再び直線に戻ると、月はもとの位置に確実に静止しているのだった。
そのうち車は、長い長い急坂の登りにかかった。坂を登り切ると急に開けた視界のなかに、またもや大きな砂山が飛び込んできた。月の光を受けてそこだけがぼうっと輝いていた。どちらからともなく、その砂丘の麓をキャンプ地に決めた。岩と小石のゴツゴツした広がりのなかで、そこだけが軟らかく迎え入れてくれているようだった。軟弱な砂地を注意深く奥まで入り込み、エンジンを止めると、耳鳴り以外の何物をも捉えることはできなかった。
そこは不思議と落ち着ける空間だった。思った以上に高い砂丘は、無限定の空間を分ける屏風のようなかたちで私たちの背後を取り巻き、そこだけが砂の反射で明るかった。月の輝きは冴え冴えとした白さであったが、その明かりを受けた砂は濃い褐色に輝き、まわりは微動だにせぬ夜の冷気が蔽っていた。昼間灼かれた砂の表面はもう冷え切っていたが、軟らかい砂に手を突っ込んでみると、わずかな温もりがまだ残っていた。残り少ない酒を飲み干し、毛布にくるまって2人で砂地に座った。 夜の砂漠。頭の芯に突き刺さる太陽の光も、砂嵐の激しさもない、もう一つの砂漠の顔である。砂漠には、中途半端な退屈な時間はどこにも見あたらないようだった。その夜も狭い車のなかで明かした。

翌朝、日の出とともに目覚めると、私たちは背後の砂丘に登った。軟らかい砂に踝までうまりながらやっと頂にたどり着くと、前方にもっと高い砂山があった。その頂に立つと、一段と高い別の砂山がさらに前方に控えていた。砂の斜面は大変歩きづらく、心臓はもう破裂寸前にまで高鳴っていたけれども、2人ともある種の義務感に駆られて、ただひたすら登り続けた。
私たちはピークに立った。そこから俯瞰した眺めはすばらしかった。砂丘のうねりは予想をはるかに超え、地平線の彼方にまで続いていた。朝日の下、逆光に見る砂丘は褐色ではなく、深い湿度をたたえたいぶし銀の輝きであった。-

この植物とは早朝の砂丘の谷間で出会った。その後サハラには何度も行っているが、これほどフォトジェニックな植物とは出会っていない。地平線の彼方まで続く砂丘は永遠かと思われたが、Google Earthでみると、すぐ先にはワディ(枯河)がひろがっていて砂丘は途切れていることがわかる。その時一緒に旅した伊豆倉義弘は、1993年に亡くなった。サハラに初めて行ったのは1972年2月のこと、フリーになった翌年で2人とも25歳だった。

ちなみにその地点は、北緯29°6′ 14.50″・西経1°3′ 8.84″ 。アルジェリア南西部、Kerzazのオアシスから30分ほど南下した場所だ。今秋にでも、もう一度サハラに旅してみたいと思っている。

野町和嘉オフィシャルサイト