野町和嘉×佐伯剛 2008年10月26日
「風の旅人」編集長、佐伯剛氏との間で交わされた以下の対談は、「聖地巡礼」高知県立美術館展開催に際して行われ、小冊子にまとめ来館者に配布されたものです。3月28日より開催されます、東京都写真美術館展へのご案内を兼ねて再録いたしました。
(佐伯) 風の旅人の佐伯と申します。よろしくお願いいたします。私は雑誌(『風の旅人』)を通じて創刊号からずっと野町さんの作品を見てまいりました。写真集や展覧会だけではなく、実際オリジナルのポジフィルムを含めて、野町さんの仕事を、見尽くしてきたと思っています。展覧会や雑誌に出てくる作品以外のところにも、野町さんならではの世界観や人間観が一貫して流れています。そうした部分にも迫りながら、私の立場からいろいろと野町さんにお聞きしていきたいと思っています。よろしくお願いいたします。
(野町) 野町です。はじめに、サハラからインドまでざっとこれから30分ほどで私の作品のスライドを観ていただいたあと、対談を始めさせていただきたいと思います。
―スライド上映―
(佐伯) 写真展を見た後、さらにこれだけのスライドを見ると、心に負荷が掛かりすぎて、息絶え絶えになってしまいますね。マチュピチュの作品が(スライドの中で)サービスカットのように入っていましたが、ああいう作品が入っていると、妙にほっとします。野町さんの作品に映し出されていることは夢や幻では無くて、地球上の同じ時間のなかで実際に営まれている現実であり、私たちが営んでいる現実との落差に圧倒されてしまうから、負荷がかかるのではないかと思います。私たちの今の現実はたかが50年か100年というレベルのなかで作り上げられたものですが、野町さんがとらえた世界というものは、1000年以上ずっと続いているわけで、ひょっとするとあっち側が本流かもしれないという気がしてきて、そうすると、自分の立っている足場がぐらぐらして、得体の知れない疲労を感じます。野町さんがとらえた世界の方が、美しく、神々しく、生き生きしているのですから、日本社会で自分が拠り所にしている価値観の薄っぺらさが浮き彫りになります。とくに、今回の展覧会のように、サハラ、アフリカ、アンデス、インドなど、地球上の様々な地域で長い間繰り返されてきた人間の営みを見せつけられ、これ全部を一挙にまともに引き受けようとすると、生身の人間には耐えられないと思いますね。一日に、インドのコーナーを見るだけでも、充分だという気がします。
なぜ、今インドなのか
(佐伯) 限られた時間のなかで、全部お話ししても総花的になりますので、まず新作のインドに絞ります。野町さんのインドの写真はいろいろな意味で重要な位置づけにあると私は思っています。というのは、サハラ、アフリカ、イスラム世界などの写真は、つねに野町さんがパイオニアだったわけです。誰も見たことがない世界に、野町さんが果敢に切り込んで行っている。勇気も必要でしょうし、情報も非常に少ないし、そのなかで独自の表現世界を作りあげた。さらに、その写真が美しく素晴らしいから、世界的な写真家になったわけです。昔から言われるように、写真の魅力を簡潔に二つあげるとすると、誰も見たことの無いものを見せてくれること。もう一つは、見ているつもりで見落としているものを見せてくれること。野町さんのサハラやアフリカやメッカの写真は、誰も見たことのない世界が突然目の前に鮮烈なまでの美しさで突き出されている。しかし、このたびの新作のインドに関しては、野町さん以前に、数多くの写真家や素人、さらにはテレビなども含めて、過剰に紹介されています。そうしたなかで、インドに対するイメージは、多くの人のなかに出来あがっている。“エネルギー渦巻く混沌の世界”とか、“生と死が紙一重”とか、最近ではIT産業でも有名ですね。だから、インドが話題になると、大体みんな「ああ、インドね」とイメージできる。インド以前に野町さんが撮った、ヌバ族だ、エチオピアだということになると、イメージできる人はそんなにいないと思いますが、インドに関しては思い浮かぶ。写真に関していうと、代表的な方では藤原新也さんが、かなり前に『メメント・モリ』という本を出されて、いわゆる“死を想え”ということですが、その影響を受けた写真家というのは非常に多いですね。インドに行って自分を見つめ、生と死を見つめる、そういう若い人がいっぱいでてきていて、「人生に悩んだらインドに行く」というような流れも出来ています。だから、インドの写真も、その種のものがいっぱいあるわけです。そのインドに、メッカやエチオピアやチベットなどの宗教世界の奥底まで見てきた野町さんが、ようやく取り組む気持ちになった。実は、6年くらい前、「これだけ世界的な宗教を撮り続けている野町さんが、なぜインドを撮ってないのか」ということが私の疑問だったわけです。それで、野町さんに「どうしてインドを撮らないんですか?」と質問をした時、野町さんは、「とても太刀打ちできない」という風におっしゃったんですね。太刀打ち出来ようが出来まいが、安易な気持ちでインドに行ってシャッターを切っている人は無数にいるのですが、野町さんほどの人でも、というより、世界を見尽くしてきた野町さんだからこそ、インドと向き合うことの困難さを自覚されていたのだと思います。だけどそれからすぐ、野町さんはインド通いを始められました。野町さんは、この5、6年くらいインドに何度も行って取材を行っていますが、何か心境の変化があったのですか?
(野町) そうですね・・・。宗教的なテーマをこれだけやってきますと、やっぱりインドは避けて通ることは出来ませんね。どこかにチラッと書いたんですが、僕の感覚としては、チベットから下ってきたという、印象があるんですね。チベット高原をずいぶん長期にわたってやってきたもんですから。仏教の源流は当然インドですね。ところが仏教はインドでは滅び、ヒマラヤを越えてチベット高原に仏教の源流に近いものが入って、熱烈な信仰が現在に到るも受け継がれていますね。何よりも僕がインドをこの歳になって始めて一番感じているのは、イスラム、砂漠、一神教の厳格な価値観のところでは、常に緊張を強いられてきたという自覚があります。張り詰めていないと、砂漠なんかは太刀打ちできないところがありますしね。ところが、インドは実際行ってみて、非常に自然体でやれるってことを実感したんですね。「自分の年の功なのかな」、とも思うんですが。何でも許されますね、あそこでは。ショートパンツはいて、Tシャツ一枚で、サンダル引っ掛けて、カメラ一台肩に掛けて、ベナレスでもどこでも、ふらふら街を徘徊しながら、犬にけつまずいたり、牛の糞をよけたりしながらね。そういう行為が実にリラックスできて良いんですね。若い人たちは、さっきあなたがおっしゃったように、インドに賭けるみたいな、視点が強いのかもしれないけれど。そういう意味では、インドに受入られているということを、自分なりに発見したような自覚はありますね。
(佐伯) そうですか。ようやく、インドと向き合える心境になったということですね。ただ、野町さんはあまり意識されていないと思いますが、時代の必然性で見ると、2001年に9・11テロ事件があったじゃないですか。イスラム原理主義対アメリカ、両方とも互いに譲らない頑迷なまでのストイックさがあります。その両者が、正義を主張しあい、世界中がその対立に巻き込まれていく時代の空気のなかで、もっと懐の深い価値観を志向するような気持ちが野町さんにもあったのではないでしょうか。インドの価値観が優れているとか、そういうことではなく、対立的なものを無意味化していくような、ある種のいい加減さ、言い方を変えれば寛容さや緩さが、あの国にはありますね。
(野町) それは、言えますね。特にイスラムの聖地メッカを撮りましたでしょ。原則として写真撮影厳禁の場所ですから常に緊張していなくちゃいけないんですね。撮影許可証を持って撮っているのに、それでも捕まえられて尋問を受けたり、そんなことを繰り返していたんです。ところがインドときたら、許可なんてまったく要らない。どこへでも入れて、何でも出来ちゃう。何でもゆるされてしまう。いい加減というか、多様というか、それらが渾然一体となって小宇宙のように回っているという、そのへんですかね。
野町氏の写すインドの新鮮さとは
(佐伯) インドに関する写真が無数にあるなかで、私が見る限り、野町さんのインドは新しいと思います。これまでは、インドの写真というと、先ほどの話でもそうですが、混沌とか、エネルギッシュな人々とか、「死を想え」的な表現が多いです。また、宗教が前面に出てきても、その宗教に人間ががんじがらめになっているというイメージや、それに頼らないと生きていけない虚しい人間というイメージも多いです。そういう写真を見て、こういう風に生きている人もいるのかと好奇心を刺激されることがあっても、そのなかで生きていくのはちょっと厭だなと感じる人も多いと思います。また、人間の生の儚さを知りなさいと、宗教的に説教されているような気分になるものもありますね。
それに対して、野町さんのインドの写真を見て私が一番印象的なのは、“家族”なんです。たとえば、92歳の老婆をベナレスまで連れてきて、その臨終を見守る親族と末期の水を与えている息子の写真や、コルカタの火葬場で、燃えさかる父親の前で祈る息子の写真があります。路上で死んだ小猿の遺体をみつめる母猿という写真もあります。それ以外にも、野町さんの写真は、家族の絆が美しくとらえられている。それらがただ写しとられているだけでなく、気高く、美しく、時には心和むものもあれば、しみじみと味わい深く感じられるものもあります。今までのインドの写真では、路上観察は多いですが、家族の営みの深いところまで入り込んでいるものは、そんなにないと思います。
宗教は家族である
(佐伯) 「宗教」という言葉で括ると、オウムのサリン事件とかいろいろありましたので、日本人は特に神経質になってしまうのですが、野町さんの写真は、「宗教」という大上段の構えではなく、ベースが、人々の当たり前の営みにあり、その中心に家族がある。いみじくも野町さんは、展覧会の挨拶文のところで、「宗教という言葉を家族ということばに置き換えたほうが、宗教はもっと分かりやすくなる」と書いている。この簡潔な言葉は、現代のような時代に、とても的を射ていると思います。9・11テロやオウムの件で、宗教は平穏な暮らしを揺さぶるもののようなイメージが浸透しました。別の局面では、今日の日本人の心の病は、精神的な支柱がなくなったからであり、道徳や倫理の教育に重点を置いて公共精神=愛国心を育てることが必要だと主張し、国家神道のようなものを復帰させようとする焦臭い動きもあります。そのように上から管理する宗教教育ではなく、「家族」のなかに、精神面における美しい部分がいっぱいに詰まっていて、それが宗教につながっていると野町さんは感じておられるのでしょう。実際、写真の中でも、親子などの写真が非常に多いです。家族に対するまなざしが、野町さんの写真の特徴でもあります。インドに限らず、エチオピアの深刻な飢餓のなかでも、親と子の絆というものがしっかりと、美しくとらえられています。
(野町) それはありますね。挨拶文に“家族”という一言を入れたのは、いま日本のあちこちで起こっている諸々の崩壊をみますと、それはもう“家族”というキーワードがほとんど死語になりかけてるっていうのをやっぱり、痛切に感じるんですね。たとえば、母親が育児に疲れて子供を殺すとか、逆もありましたね。14,5歳の娘が父親を鉈で滅多切りにしたという驚愕する事件もありましたね。挨拶文でも触れましたけど、イスラム圏を歩いていて特に家族を意識しました。やっぱりイスラムにあっては、家族という存在が社会の大きな柱になっているわけですから。ムハンマドという預言者は、両親を早くに亡くした孤児なんですね。だから家族愛に飢えていたという背景もあるんでしょうけど、くどいほど言ってるんですね。「一番大事なものは誰だ」と問われて「それは母親だ」っていうんですね。「次に大事なのは」と聞かれそれも「母親だ」というんですね。「三番目に大事なのは?」って聞かれてもやはり「母親」と言ったと伝聞が残されています。情の濃い世界ですよ、イスラム圏というのは。ところが間違って伝えられているんですね。基本的な情報のないところで日々伝えられるのは、自爆テロや戦場からの事件報道ばかりです。でも実際イスラム圏に長くいると、家族の絆の強さをものすごく感じます。サウジアラビアでも、猟奇的な事件は時々起きるらしいですが、これはフィリピン人の出稼ぎ労働者なんかがやることらしいんですね。一方サウジ人の中では、母親が子供を殺すとか、子供が親を殺るとか、これは絶対に起きないと聞きました。それは断じて犯してはならない一線として、神の言葉に置き換えられて千年以上にわたって受け継がれてきた価値観なのでしょうね。それが今の日本では、本当にずたずたに切れかかっているとおもいます。
(佐伯) 今の日本の社会では、頻繁に「家族愛が大事」という言葉が出てくる。でも具体的にどういうことなのか。父と子をはじめ、「家族間のコミュニケーションが大切だ」とか偉い人に言われて、義務感のようなもので会話してもだめでしょう。野町さんの写真の「家族愛」はスローガンではないですね。表情とか仕草のなかに、相手を大切にする人間の心情が現れている。それが写真を通じて充分に伝わってくるのがすごいです。ただ和気あいあいやっているだけが家族愛ではない。たとえばエチオピアの極限状態のなかで、子供と母親が体を寄せ合っている写真とか、まだ幼い子供が、病気の母親を健気に見守っているシーンなど、強く胸を打ちます。「飢餓だ、極限だ、こういうひどい状況を何とかしろ~!」みたいな、メッセージ性の強い写真は巷にいっぱいあるんですが、そういう正義や善の押しつけではなく、どんな状況に置かれていようとも、人間は、他に取り替えのきかないものを持つことが可能であると知ることは、一つの救いのような気がします。辛さというのは、人と比較できるものではなく、平和な日本に住んでいても、生きることに行き詰まってしまうことはあるわけですから。
被写体との距離について
(佐伯) 私の好きな写真で、ベルベル族(モロッコ)の幼妻がおっぱいをポロリと出して、子供にお乳を飲ませているものがあります。真っ暗~いところで撮られたものです。路上から自分の目に見えるところだけを切り取る写真はいっぱいあるんですが、家族の中に入り込む写真が非常に少ないのは、やはり難しいからでしょう。ましてや、目の前にこういう怖いおじさん(野町さん)がいる状況で、イスラム教徒であるベルベル族の娘が、おっぱいを出しているわけであって(笑)。これは奇跡ですよね。透明人間なんじゃないのか、って思うくらいの不思議さがあります。野町さんの被写体との距離の詰め方は、企業秘密なのかもしれませんけれど、ちょっと教えてほしいですね。
(野町) 確かにね、あとから考えてみると、あのショットはちょっと危ない写真に見えるかも知れないですね。でも、牛と共存するスーダン奥地のディンカ族の写真でもいえることですけれど、私の若い頃の取材にはやたら時間がかかっているんですよ。スーダンの奥のあの場所に行くのに、わざわざ車を地中海を越えてベネチアからアレキサンドリアまで運んで、そこから走りはじめて何ヶ月もかけて到達している。ガイドもつけずに僕とアシスタントと2人だけの旅なんですけど。そういう旅行を繰り返しているうちに慣れてくるんでしょうね。向こうがそんなに違和感を感じなくなる臭いのようなものを、無意識のうちに身につけてしまっていたのかも知れないですね。そんなふうにして土地になじんでいったという自覚はありましたね。好奇心は人一倍旺盛な方ですし、時間を区切られ、何月何日までにこの仕事を完了しなくてはいけない、というサイクルでやってきたわけではないですから。
(佐伯) 時間をかけること。当たり前のことですが、すごく重要ですよね。若い写真家志望の人が写真を売り込んできますが、焦っているのか、あんまり時間がかけられていないものが多いですね。だから結局通り一遍のものになっている。人の内面まで届いていない。顔が写っていても、外向けの顔ですね。笑顔はあるんですが、その笑顔もサービススマイルで。野町さんの写真の特徴は、非常に表情が豊かですよね。絵として強いものはいっぱいありますから、それに圧倒されますが、顔をずっと見比べていきますと、本当にいろんな表情があるんですね。穏やかな顔、恍惚とした顔、非常に厳しい顔など。真剣に祈っている前でカメラを向けたら怒るんじゃないかって思うんだけど、そういう厳粛な瞬間が見事に撮られている。相手は、カメラを無きもののように、自分のありのままのものを出している。時間をかけないと、相手との関係も築けないし、見えるものも見えないのでしょうね。
(野町) 時間をかけたということではね、僕はサハラから始めたわけですが、車をヨーロッパで用意し装備をととのえてから行くわけですよね。結構お金もかかっている。したがって短期間で帰ってくるわけにはいかないんですよ。1ヶ月や2ヶ月の取材で切り上げるわけにはいかない。しかも取材費の大半がポケットマネーでしたからね。若かったですし、体力だけは自信もありましたし、まあ強烈な好奇心がなきゃやらなかったでしょうけどね。それから、祈っている人たちの前に立って写真を撮るのは堂々とやっていればいいんですよ。おどおどしてちゃだめですよ。堂々と当然の顔してやっていれば、相手も観念して撮らせてくれますよ。年の功を得るに従って段々覚えてきましたね、それは。
(佐伯) 私は、野町さんの写真を見ていて時々、「これは神の眼差しじゃないだろうか」と思う時があるんですよ。非常に厳粛なシーンをバシッと正面から見据えているわけだから。無神経で横柄なのはだめでしょうが、敏感だけれど、腹が据わって堂々としていることが、“神の眼差し”に近づく道なのでしょうか(笑)。
(野町) 相手に抗議をさせる気を起こさせないくらいにね、堂々とやってれば、向こうは自ずと観念するわけですよ。まあ、それだけの信念が無ければだめでしょうけどね。
(佐伯) ずうずうしさも必要でしょうかね?
(野町) そうですよね。当然ね。信念とずうずうしさというのはね。
メッカに臨んで
(佐伯) 野町さんの今までの写真家人生の中で、いい意味で一番ずうずうしいことは、やっぱりメッカだと思います。まずサウジアラビアからメディナの取材の依頼を受けたわけですよね。メディナだけでも非常に大きな仕事です。ムハンマドの霊廟のある場所で、イスラム圏にとっては第2の聖地であるわけだし。そんな大きな仕事を請ければ、普通はそれだけで舞い上がります。プレッシャーも大きいです。下手すると世界中のイスラム教徒を敵に回すかもしれない。だから、一般的には、その仕事をきっちりやるっていうことにまず頭が行くわけです。でも、野町さんのクレージーなところは、「メディナを撮るならメッカも撮らないと意味が無い」と思って、実際に相手に要求をすることです。おっかないことです。メッカは、世界中のイスラム教徒が、一生に一度は訪れたいと願う場所であり、また世界中のどこにいても、毎日、メッカの方向に向かって厳粛な祈りを捧げているのですから、並の場所ではありません。野町さんが要求すると、相手の人は、「メッカを撮るならイスラム教徒に改宗してもらわないと絶対だめだ」と答えるわけです。異教徒が、メッカに足を踏み入れるだけでも大変なのに、写真を撮ったりすると、どうなることやら。そこで野町さんは、あっさりとイスラム教徒に改宗してしまう。さらに野町さんのすごいところは、野町さんが撮ったメッカの写真を、イスラム教徒が誇りを持って受け入れていることです。サウジアラビアに私が行った時、ポストカードとか、パネル張りのポスターを売っていました。巡礼者なども買っていくのでしょうが、それらは野町さんが撮った写真でした。35年の写真家としての仕事の中で、もっともプレッシャーがあったのがメッカだと仰っていましたが、あれは本当に大仕事ですね。
(野町) 展覧会場に大きく伸ばした大パノラマが1点ありますけれど、あの場所に立ってあのシーンを見れたことは、僕の写真家人生の中で大きなエポックになったと思うんですね。撮影地点はめったに登らせてもらえない地上80メートルの塔の上なんですが、そこであれだけの人間が厳粛に向き合っている情景を眺め、見下ろしているわけですね。ほんとに、後ずさりするような気迫、緊張感を感じました。
(佐伯) イスラム教徒に改宗するときに、「あなたは写真を撮りたいという理由だけでイスラム教徒になるんですか?」と、聖職者に念を押されましたよね?ちがいますって答えたとか?
(野町) そんなことがありましたかね?(笑)
(佐伯) 改宗という厳粛なる時に、なかなかしゃれた質疑応答だなと思いましたね。
(野町) サウジにはビジネス・ムスリムという言葉があるんですよ。商社員なんか行くでしょ?やはりムスリムのほうがビジネスをすすめるのに有利というケースがあって改宗するというケースもあると聞きました。私の場合はちょっと違うでしょうけどね。
(佐伯) イスラム教徒は厳格なイメージもありますが、その発展期において、イスラム教徒に改宗するか、それとも戦うか、みたいな突きつけ方をして、改宗さえすればビジネスパートナーとして快く迎え入れて、イスラムの商業圏を急激に拡げていきましたよね。
(野町) そうですね。きわめて寛容だったはずですがね。今は、一番悪い状況ですね。ある意味グローバリゼーションの敗者というか、イスラム圏全体がそういう立場になってしまっています。わけても産油国と非産油国との格差があまりにも大きいし、イスラムにとっては不幸な時代ですね。
(佐伯) あれから、心境の変化はありましたか?生活態度も変わりましたか?メッカに行ったわけだし。
(野町) お酒も一滴も飲まないし。
(佐伯) そうですか?昨日も随分と飲んでたような気がしますが・・・(笑)
(野町)
そうでしたか・・・?(笑)
(佐伯) 精神的にはどうですか?あれだけのものを撮ると、放心状態になるのが普通じゃないかと思うんですが。
信仰を持つということ
(野町) かなり、逡巡するところはあったんですね。信仰とは何かとか、それなりに葛藤もありましたし。そういう中で僕はどの宗教であれ、何か自分を映す鏡と見ればいいんですけれど、(信仰を)持っている人間のほうが正常だと思いますね。どの宗教に対しても敬意を表します。先ほども話題に出たようなとんでもない犯罪とかはおこせない、人間であることの自覚につねに立ち戻ることを強いる。最後の一線を踏み外させないブレーキの役目を果たしている。それを僕は実感しますね。どの宗教であれ。
(佐伯) イスラム圏は危険だとか言われますけれど、夜も普通に出歩けます。
(野町) まあ、僕は特には・・・。
(佐伯) 野町さんはどこでも夜歩けるでしょうけれど(笑)。西洋諸国のほうが、夜は危ないところが多いですよ。凶悪犯罪も西欧の方が多いでしょう。
(野町) 一部の紛争地域は、人間を野獣にしていますから、例外ですね。それを別として、そんなに怖さを感じたことは無いですね。
(佐伯) メッカまでやってしまうと、もう怖いものは無いということはありますよね。写真家として、ひるむような相手は無いというか。
(野町) 確かに、あそこで感じた緊張感というのはとてつもないプレッシャーでしたね。特に、(本展未出品)預言者の墓の写真がありますが、廟墓の扉を正面から撮った写真です。昼間は巡礼者が祈っているから撮れないんですね。モスクを閉めたあと夜中に清掃をする、その時間に特別に撮影を許可されたんですが、あご髭を伸ばして眼光鋭い、見るからに原理主義者といったいでたちをした7,8人監視が付いたんですよ。厳しいまなざしを背中にひしひしと感じながら撮影をして、終わってホテルへ帰ってから胃がキリキリ痛み始めました。あれほど緊張を強いられたケースははじめてでしたね。
苛酷な環境での撮影について
(佐伯) マラリアの予防のために牛糞を燃やした灰で全身を覆っている人々が生活しているナイルの上流部、乳の出を良くするために牛の子宮に顔を突っ込んで刺激している、世界的にも非常に有名な写真もありますけども、ああいうところで寝るときは、ぜんぜん心臓痛くならないんですか?
(野町) あれは、テントを持って行ってましたから、すぐそばにテントを張ってキャンプしました。絞りたてのミルクを持ってきてくれたり、まったく平和でした。ただ無防備であることにかわりないわけだから、なにかトラブルに巻き込まれたりすれば、「あいつはばかだ、無防備だ」ということになるに決まってますけどね。
(佐伯) 先ほど、私は“神の視線”と言ったことについて、今、具体的に画像として思い出したのですが、たとえば今回の展覧会には無いのですが、チベットの僧が吹きすさぶ雪の中で祈っているシーンだとか、ここで出ている作品の中で言うとすれば、アンデスの吹雪のなか、岩陰に避難している巡礼者の写真とかあるじゃないですか。彼らは、体力もあって、高い標高にも順応している。そんな彼らをバシッと正面から撮っている野町さんは、当然ながら、厳寒の高地で、吹雪の真っ只中にいるわけですね?
(野町) そりゃそうですよ。
(佐伯) そういう写真を見たときに、人間を超越した“神の視線”を感じたんですよ。
(野町) 雪の中を登ってくる巡礼をフラッシュで撮った写真がありますね。あれは、2004年に撮影したものなんですが、5000メートルまで登っているんです。とにかく彼らのスピードには絶対ついていけませんから、前の日に登って、ガイドと一緒にテントを張ってそこで待ち受けていて撮ったものなんです。登山家でも何でもない僕みたいなのが、まだこれだけやれるんだっていう、それは大きな自信になりました。写真の結果よりも。まだやれるんだって。
(佐伯) 吹きすさぶ雪の中にいても平気だと。ハイテンションだから大丈夫だっていうことも無いですか?
(野町) それはあるでしょうね。若いときから沙漠とかでやってきたもんですから、割合平気なんですよ、そういうことは。
(佐伯) 普通は、20代30代とか鍛えていても、そのあと一切トレーニングしないと衰えていきます。以前、「体力維持のためトレーニングしているんですか?」て聞いたら「そろそろトレーニングはじめなければ」って言ってフィットネスの会員になって、すぐサボって行かなくなったりだとか。行ってないですよね、ぜんぜんね?
(野町) 続けられないですね・・・。
(佐伯) 普段別に腕立て伏せしているわけでもないですし、一体どうなっているのかなと思ってしまいますよね。
(野町) 今年の5月にガンジスの源流の4000メートル近い場所に登ったんですね。急な坂道ではなかったんですが、2日間で20時間ほど歩いたんですけどね。昔は、あそこは馬があったんですが、今年から森林保護ということで一切使えなくなって、歩くしかないんですけども。それをついこの間やったんです。昨年6月には腰の手術をして、腰にボルトが4本入ってますけどね。それでもまだ動けてやれるということは、大きな自信になりましたね。
撮影はいきあたりばったりではいけない
(佐伯) ガンジスの源流も非常に標高が高いわけですが、最近ではガンジスの源流まで行くことは、そんなに困難なことではなく、いろいろな写真家が行っています。でも、そこで、うまいタイミングでサードゥー(修行者)がいて、沐浴している厳粛なシーンを、野町さんは撮っている。一枚の写真のなかに、氷河も源流もサードゥーもきっちり入っている。待ち続けたんですかあれは?たまたまですか?
(野町) 彼らは、毎日来てますね。
(佐伯) そうですか。時期があるんですかね?
(野町) そうですね。登山ができるのは5月中旬から10月の中旬までの間でなおかつ、モンスーンの時期になると道路がしばしばがけ崩れで閉鎖になりますから、その期間はないですねだから、集中的に巡礼に来るんですよ。
(佐伯) ああいう絶妙のタイミングで撮ってる写真てなかなかないですけどね。
(野町) 早朝ですよ、あれは。日が昇ってすぐです。
(佐伯) そうですか。あれ結構明るい写真ですけど。
(野町) ええ、晴れてました。快晴だったからね。
(佐伯) ていうことは、やっぱりそういう時間とかをきっちりと見極めて。
(野町) それはね。インドの場合は、沐浴っていうのはそうでしょ?日の出前のうちにやるから。
(佐伯) そういうことを考慮せずに、行き当たりばったりで撮っている写真は多いですね。その方が自然体だ、などと言って。今回の野町さんのインドの写真で、もう一つ、皆さんに見ていただきたいポイントがあります。たとえばベナレスなんですが、ベナレスの昼間の町中の喧騒や、生と死が混沌とした世界は、今までの写真でたくさん見ることができます。今回、野町さんは、日が昇る前のベナレスを撮っています。このように静謐で美しく、かつ厳粛なベナレスの情景は今まで見たことないですね。日が昇り、街が動き始めて、人が動き始めて、賑々しくなってからではなく、人が動き出す前の短い瞬間が、もっとも聖なる時間で、野町さんは、それを見事にとらえている。その聖性を損なっていない。暗いところに強いデジタルカメラの恩恵もあるでしょうが。
光をとらえる感受性
(野町) インド人が沐浴して、祈りをささげる厳粛な時間っていうのは日の出前後ですね。むしろ日の出前ですね。まわりが暗いわけですから、灯明が一つあればその光だけでぽっと浮かび上がるわけです。そこは映像的な引き算というか、きっちり写せる時間だし、最新のデジカメの存在っていうのは、これは非常に大きいんですよ。フイルムではぜったいに切れなかった時間というのがありましたからね。フラッシュを使ってしまったら雰囲気を全部壊してしまいます。それをぎりぎりのところまで感度を上げて撮った写真も何点か展示していますね。
(佐伯) 微妙な光があるかないかの状態の美しさに対して、野町さんが敏感に反応できる写真家であることも大事なポイントだと思います。以前に野町さんから、写真家人生の最初のサハラで、砂漠で一番美しい瞬間が太陽が落ちてからの数分であることを知ったという話を聞きました。昼間とか、夕ぐれや朝焼けの砂漠の写真っていうのも、これまたいっぱいあるんですが、野町さんの写真は太陽が沈んでからの微妙な色の階調のものが多い。砂漠以外にも、写真は明晰だけれど、実はとても暗いところで撮っている写真が多い。野町さんは、暗い所での光のとらえ方が絶妙です。
(野町) そうですね。砂漠は光に鈍感な人はまず絵に出来ないし、そこで微妙な光と陰を私なりに学習したっていうのは大きいですね、確かにね。
(佐伯) それ以前は、そういう繊細な感覚っていうのはあったんですか?
(野町) どうでしょう、もともと繊細だったんじゃないですか(笑)
(佐伯) そうですか、柔道の強い強面の野町さんていうだけじゃなくて・・・。体力だけじゃなく、繊細さがあってこその仕事。まあそれはほんとそのとおりなんですけどね。
秘境方面の写真も、日本では野町さんがパイオニアですが、ヌバ族(スーダン)などは、レニ・リーフェンシュタールや、ジョージ・ロジャーが撮っています。彼らは人間の身体の美しさとか、躍動感だとかを見事に撮ってますよね。だけど野町さんは、壮健な身体も撮っているけれど、さらに人間の表情をきめ細かく掴んでいる。また、人間の手先の動作をうまくとらえていたり、神経細かいなあと思うところはありますよね。インドでも、路上で小猿が死んだのを悲しそうに見つめる親猿とか。町中には様々な物が溢れているのに、道端のちっちゃなところをずいぶんと丁寧に見ていますよね。
写真を見ること、写真を撮ること
(佐伯) まとめの時間にそろそろなりましたが。
私の子供が4歳の時、野町さんの写真集を見せたら、「怖い!」といって逃げました。ベラスケスやゴヤの絵を見るために国立西洋美術館に行った時は、部屋に入った瞬間に「怖い!」って言って逃げました。つまり、すごい芸術というのはリビングに掛けて「良い絵ね」とか「きれいね」という感じじゃなくて、本質的に怖いものなんじゃないかと。本当に美しいものは、同時に、不気味です。気楽に「きれいねえ」と言えるものは、その時はいいんですが、すぐに飽きます。怖いやつは何度見ても飽きない。野町さんの写真は、リビングで飾るのではなく、深夜に、自分がつまらないことで悩んでいる時に見たりとかすると、自分の悩みがバカらしくなったり、力がもらえたりします。野町さんの写真は、私は個人的に“魂のストレッチ”と呼んでいます。筋力もそうですが、使わないとどんどん衰えていく。魂も、負荷を与えないと衰えてしまう。そうすると、抵抗力は弱くなって、小さなことでくよくよしてしまう。だから、時々、野町さんの写真のような美しく不気味なものを見て、魂のストレッチをすることが必要です。今回のこういう展覧会も、秘境辺境の面白い光景だなあと、さっと見ることはできるかもしれませんが、一点一点丁寧に見ていくとすごく疲れるんですね。魂のストレッチだから疲れて当然で、疲れるからといって避けていたら、本物に向き合う力を失ってしまいます。きれいで心地よいものばかりでなく、負荷がかかるものと向き合って、魂のストレッチをする。そういう見方があるということも知っていただければと思います。
(野町) 私の認識していること、していないこと色々と広範囲に論評していただいて、ありがとうございます。今、特に写真好きな方が増えて、中高年の方がどっと参入して来ていますね。最近のカメラは誰がシャッター押してもそこそこの写真が写ります。皆さん時間はたっぷりあるし、旅行好きな方も多いんだろうし、風景写真も大流行ですね。でもやっぱり、紅葉だけ撮ってたんじゃね、ちょっと物足りないな、というところまで踏み込んでほしいなという気がします。今、佐伯さんがおっしゃった“精神のストレッチ”に通じるようなものを、老化を防ぐ意味でもね、極めて有効だと思うし。写真はほんとにいい趣味で、体も動かしますしね。ですけれど、ファインダーの中で「俺は今ここを見つめているんだ」みたいなことを意識して集中する、そういう臨場感を持って見つめていれば、それまで見えていなかったものがハット立ち上がってくるんです。皆さんにもそういう写真体験をぜひ持っていただきたいと思います。
ありがとうございました。
―質問コーナー
(Q1) ずいぶん以前高知で展覧会をやられていたときは、家族の中に入っていった写真ていうのはあまり記憶が無かったんですが、それが今インドまでこられて家族の写真に向かうようになったというのは、何か心境の変化みたいなものがあったでしょうか。それとも昔から今の写真観みたいなものを貫いてこられてのことでしょうか。
(野町) そんなに自分としてスタンスが変わっているとは思わないんですが、おっしゃるとおり初期のサハラの頃っていうのは、あの自然に圧倒されていますし、そちらの方に目がかなりいっていたという要素はあると思うんですけどね。でも、割合に初期の頃から人間はずっと撮っていますし、家族と限定するとどうか分かりませんが、かなり撮ってきてはいます。
(司会) あのときの展覧会では、「五体投地」など迫力のある作品がメインで出されていて、強く印象に残った方も多かったと思いますので、先ほどのような質問が出てきたのではないかと思いますが・・・。
(野町) 確かに、インドは先ほどからちらちら言っていますように、「そんなに肩肘張らなくてもいいや」みたいなところで、通りを徘徊するような気分で撮っているようなところはありますね。チベットなんかも緊張しましたからね。あの標高で、自然も厳しいですしね。自ずと人間の生きている背景っていうのはインドとは違いますね、確かに。
(Q2) ラテンアメリカの方も大分撮られていますが、あそこは治安も悪いし、特にスペインと現地のインカの人々との間にしがらみとかあると思いますが、野町さんがあそこで一番何を撮ろうと思われたのですか。
(野町) アンデスの地域ですね。あそこは、アンデスの文化とキリスト教が融合しているところですね。だから他のキリスト教のところとは違いますし、とても信仰深いです。国力を背景とした大航海時代のキリスト教といえばってもともと暴力的なものですね。植民地主義と結びついて、人種差別、奴隷問題、略奪の宗教という一面が強かったと思うんですが、それが現地のアニミズムみたいなものと融合することで浄化されているんじゃないかということを思うんですね。これは、アンデスに限らず他のところでもいえますが。そういう意味で、まだまだ(アンデスは)終わってないんですけどね。信仰の断片みたいなものを出来るだけ人の内側を覗けるような、そういう写真をアンデスでもやっていきたいと思っています。
(Q3) チベットの本が新しく出ましたよね。ダライ・ラマの写真を撮られていますけど、ダライ・ラマの印象を教えてください。どんな方なんでしょう。
(野町) 僕が長時間のインタビューをして撮影させてもらったのが1992年ですから、もう16年前になりますかね。今ほど著名人じゃなかったですが、それでもノーベル平和賞をもらった後でした。とってもチャーミングな方ですね。講演などでも聴衆を一瞬にして虜にしてしまう不思議な人間くささを発散していますね。発している言葉もね、『ゆるす言葉』という本にも載ってますけども、短いフレーズに思想をちゃんと折り込めて、発信できる人ってなかなかいないんじゃないだろうかと思います。実は、彼は一難民なわけですね。現実の国家を背負っているわけではないんです。チベットを背負ってはいますけれども。ですから、こういう言い方は正確ではありませんが、ある意味で無責任でもいられるわけですよ。たとえばもしチベットという地域を統治しているその元首であれば、軍隊も持たなきゃいけないし、罪人は処罰しなくちゃいけないし、非常に峻厳な支配者としいう一面も当然兼ね備えていなくてはならないわけですが、幸か不幸か彼は一難民なわけですね。何にも持っていないわけです。ですから、逆にそういう立場から発せられる言葉の強さといいますか、それはとても感じますね。だから世界中をこれだけ動かせる。前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世亡き後、今おそらく宗教界のカリスマ性を一番持っている方じゃないだろうかと思いますね。