「ユーラシアニュース」 地平線の彼方より-連載83
「ヒンズー教最大の聖地、バラナシで火葬にされ、遺灰をガンガー(ガンジス川)に流してもらえば、苦しい輪廻の輪から逃れて来世は天国に生まれ変わることが出来る」
これはヒンズー教徒のあいだで古より受け継がれてきた死生観で、遠い土地で亡くなった場合も、しばしば家族がバラナシまで遺灰を運び、ガンガーに流して法要を行う。
バラナシでもっとも規模の大きな火葬場、マニカルニカー・ガート。ここでは24時間火葬が行われており、暗闇のなかでも常に炎が立ちのぼっている。火葬場に通じる裏路地で待っていると、5分から10分おきに次々に葬列が通り過ぎてゆく。青竹のタンカに縛りつけられ、サフラン色の布で被われた遺体は、4人の男に担がれて「ラーム・ラーム、、、(神こそは真実、、、)」の歌声とともに、揺られながら軽やかに通過してゆく。そのまま水際まで運ばれガンガーの水に浸されたのち、組み上げた薪の上に載せられ、喪主が一通りの簡素な儀式を済ませると、火が点けられる。火葬が終わるまで2~3時間を要するが、遺体に付き添ってきた男たちは(女性は火葬には参加しない)、その間、雑談をしながら炎のまわり具合をじっと見守っている。
バラナシを訪れる旅行者の多くが火葬場を観に来る。旅の情報として火葬のことは誰もが知ってはいるが、やはり目の前でヒトの体が燃えている情景を目にするのは、激烈なる衝撃である。風向きによっては熱風とともに肉の焼けるにおいが流れてきて、思わず息を詰めることもある。火勢が弱まると、ギーと呼ばれるバターの油が注がれ、さらに焼け残りそうになると、棒きれで生焼けの足や腕を無造作にへし折ったり、燃えさしをその上に投げ込んだりと、見ていて溜め息が出るほどにぞんざいな扱いである。貧乏人にとっては薪が高価であるため、生焼けのままガンガーに放り込まれる遺体も少なくなく、日本人がそこはかとなく抱いている死者への尊厳など微塵も見られぬことに無情をかき立てられ、へとへとになって離れてゆく旅行者も少なくない。
輪廻転生思想が広く行き渡り、魂が離脱したあとの骸を単なる抜け殻と見なす風習が広く行き渡っているうえに、日々火葬に専念する職人たちの死体に接する態度には、情感など微塵も感じられない。ちなみに、火葬を取り仕切るカーストの役得のひとつに、火葬の灰に溶け込んだ貴金属収集があるという。死者が着けたまま火葬にされ、高温で溶けた貴金属を、灰を洗うことで集めているのだ。
妊婦、5歳以下の幼児、サードゥー、そして蛇にかまれた死者は火葬にはされず、水葬にされる。サードゥーは、出家時に世俗と断絶する儀式を済ませており、幼児は一人前とみなされていないからだ。火葬の薪代を払えぬ貧しい人たちも、そのままガンガーに流してしまう。砂州に流れ着いた遺体は犬やカラスの餌となり、水底には、重しの石を縛られ沈められたおびただしい遺体が、泥の中で魚の餌となっていることだろう。そして雨期ともなれば、数十倍に増水し、早瀬となったガンガーの流れが、死者や環境汚染の痕跡を一挙に流し去ってしまい、ガンガーは蘇るのである。聖も穢れも呑みこんで滔々と流れ行くガンガーの岸辺に立ち、地平からゆるゆると昇る朝日と向き合っていると、輪廻の車輪がゆっくりと巡る大いなる時間、インドでしか接することのない時間のなかに、いま自分がたしかに立っていることに気づかされるのである。
月別アーカイブ: 2009年6月
イグアスの滝
「ユーラシアニュース」 地平線の彼方より-連載82
ブラジルとアルゼンチンの国境をなすイグアス川に出現する驚異の景観、イグアスの滝。この写真を眺める度に、なだれ落ちる厖大な水が炸裂する、地響きに似た轟音が反射的によみがえってくる。私が立っているのは滝のブラジル側に設置された長い遊歩道の先端で、滝の真上にせり出した貧弱な展望台である。この日は風強く、風向きによって横なぐりに吹きつけてくる飛沫のために、暴風雨の真っ只中に立っているも同然だった。遊歩道の入り口で買ってきたビニールのポンチョはまったく役にたたず、あげくの果てに、容赦なく浸入する水滴でカメラまで動かなくなる始末だった。一組のカップルが展望台まで迷い込んできたが、水の猛威に圧倒されたか、すぐに戻っていった。
足の下から背後の壁まで、およそ視界を巡らせてみても、ただただなだれ落ちてゆく水の壁ばかり、圧巻の一語に尽きた。滝を眺めるという感覚ではなく、大地を揺るがす轟音とともに落ちてゆく、底知れぬ水の力の真っ只中で水の洗礼を施されている、そんな畏れに似た感情を抱きながら、全身水浸しになり、圧倒的な水の力に金縛りにされて私はこの場所に立ちつくしていた。
さらに驚くべき光景は、画面奥、「悪魔の喉笛」と呼ばれる、落差80メートル、猛烈な水煙の滝壺をさかんに飛び交うツバメたちの姿だ。よく見ていると、黒いツバメたちは、相当なスピードで飛翔しながら一直線に水の壁に飛び込んで行くではないか。まるで黒いブーメランが水壁を切り裂くようにして消えて行くその正体は、オオムジアマツバメと呼ばれる種で、天敵である大型の鳥が近づくことの出来ない滝の裏側で巣作りをしているのである。
どこまで歩いても、なだれ落ちる轟音が耳鳴りのようにつきまとってくる巨大スケールの滝は、イグアス川を複雑なかたちに横切る断層にかかるもので、断層の全幅は4000メートルに及び、そのあいだに大小275の滝が分布している。
この画面の右側対岸はアルゼンチン領で、ブラジル側よりもさらにバラエティーに富んだ滝を広範囲に延びた遊歩道から観察できるが、対岸に到達するためには、国境検問所を通過して50キロ近く走らなくてはならない。
私が、イグアスの滝の景観を最初に知ったのは、今から20年ほど前に公開された映画「ミッション」であった。18世紀、この土地で困難な布教活動に身を捧げるイエズス会宣教師と、剽悍で誇り高いグアラニー族とのあいだの歴史実話を映画化したものであったが、映画の主役は滝そのものだった。奥地をめざす宣教師たちや、グアラニー族のコミューン殲滅のために遡航してきた植民地当局軍隊の前に立ちはだかり、超えることの出来ぬ圧倒的な壁として描かれたイグアス滝の偉容であった。銀幕を震わせ落下する水の轟音の凄まじさに、およそ滝のイメージを超越した奇蹟の景観としてイグアス滝の存在を初めて知ったのであった。
そして私が目の当たりにした、現実のイグアス滝。それは効果音で誇張した劇映画の空間などとは次元の異なる、底知れぬエネルギーを秘めた南米大陸の雄叫びそのものであった。
*この紀行記は、ユーラシア旅行社が毎月発行している旅のカタログに2002年12月より連載しているものです。編集部の許可を得て、当ブログでも毎月公開していくことにしました。