砂丘に登る

「ユーラシアニュース」地平線の彼方より-連載84

 それは1973年4月のことだったと記憶している。二度目のサハラの旅で、私は、アルジェリア西部の或る小さなオアシスに滞在していた。オアシスのすぐ外には高さ100メートルにも達する砂丘がせまっており、その上に立つと地平線まで続く壮大な砂の海を遠望できた。
 灼き尽くす太陽が西に傾きようやく一息ついたある日の午後遅く、私は撮影するために、親しくなった16歳の若者と二人で砂丘に登った。砂の地平を茜色に染めながら刻一刻と変化してゆく壮大な夕景に熱中し撮り終えてふと気がつくと、先ほどまで悪ふざけを言い合っていた快活な若者の姿が消えていた。
 どこに消えたのかと不思議に思い小さな砂の丘を越えてみると、若者はそこに立って夕べの祈りに没頭していた。東の方角に向かって深々と一礼してひざまずき、額ずいて、そして立ち上がって祈りを口ずさんでいる。それは意外な姿だった。つい先ほどまで見せていた幼さの残る少年の面影は消え、神とじかに向き合っているその五体からは、凛とした砂漠の男の威厳がにじみ出ていた。
 暮れ行く地平線の真っ只中で、そばに立った私の姿など眼中になく、繰り返し額ずく若者の額から鼻筋にかけて、べっとりと付着した黄金の砂粒が、祈りに没頭する忘我の境地を象徴しているかのようだった。折しも、若者が向き合ったメッカの方角には、地平線上に昇ったばかりの満月が煌々と輝きを放っていた。美しい光景だった。そこでは、大いなるものと裸の魂が、広大な空間のなか、何らの介在もなしにじかに向き合っていた。砂漠という風土のなかで営まれてきた精神性の深みに、私がふれた最初の光景であったと思う。 乾燥の極地に点在するオアシスで暮らす人々にとって、生命線はひとつの泉である。枯れることのない泉こそは神の賜物であり、生かすも滅ぼすも神の意志ひとつであるとする明解な信仰がそこでは生き続けていた。人々の祈りには、日々、無事に生かされていることへの感謝が滲み出ていた。
 一方で、砂と風と星々の煌めく砂漠は私を魅了した。熱気が張りつめていた地平線のなか、陽が傾くにつれ砂漠特有の放射冷却が作用しはじめ、気温はみるみる下がっていく。日暮れの前に走行を切り上げ、夕べの優しさに包まれた砂地にマットレスを敷き横たわっているだけで、熱気に痛めつけられ弛緩していた神経は回復してゆくのだった。やがて陽は落ち、刻一刻と濃くなってゆく夕闇のなか、澄み渡った空一面に星々が煌めきはじめる。生きものの気配もなく、物音ひとつしない空間のなかで時の流れを刻むのは、天空を覆いつくす星々の動きのみである。
 そんな空間に自分が身を置いていることの不思議に思いをめぐらせていたとき、この天空はるかに宇宙的スケールですべてを司るなにかが存在するかも知れない、という思いを受け入れるのに違和感はなかった。あるいはこうも考えた。一枚の紙の表と裏のような関係で、私たちには感知できないもう一つの世界が存在しているのではないだろうか、と。 砂漠というところは、日常の中では眠ったままのある感性を呼び覚ましてくれる不思議空間でもあった。

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