大統領選挙の不正疑惑をきっかけに、”神の国イラン”が激しく揺れている。
今から30年前、民衆は独裁体制を敷くパフラヴィー国王(シャー)を追放して、聖職者に統治を委ねる神権政治を受け入れたのであった。それまで、シャーが推進する西欧化政策のなかで、女性のベール禁止令が布告されるなど、イスラームは形骸化され、人々の意識は宗教から遠ざかって行くかに見えた。だが、シャーの取り巻きだけが肥え太り、反抗する者には秘密警察が容赦ない、その体制に対し打倒の叫びが起こると、迫害に耐え、復讐精神に燃えるシーア派信仰の原点を人々に再認識させた。革命派は,神の名において、この民衆心理を巧みに誘導しながらイスラム革命の熱狂へと人々をひきこんでいった。
民衆は、シャーの出国と入れ替わるように、亡命先のフランスから帰国したホメイニー師をシーア派救世主の再来とみなして熱狂的に迎え、世直しを委ねたのであった。ホメイニー師は、シャーを支えてきたアメリカを大悪魔とののしって国交を断絶し、ベール着用をはじめとして厳格なイスラーム法を徹底させた。この”ホメイニー革命”が、世界的なイスラーム覚醒の導火線となったことは言うまでもない。
だが厳格なイスラーム体制が確立してみると、民主主義どころか、イスラームの名の下に民衆の権利を大幅に制限する独裁政権へと変貌してしまっており、シャーの時代よりもさらに自由が制限され、経済停滞が蔓延するなか、”現イスラーム政権の厳しさを、もしシャーが保持して恐怖政治を徹底していれば、革命は起きなかった”と言われるくらいに、保守派民兵たちを動員した反対派への弾圧は容赦のないものとなってきた。
その一方で、隣国イラクとの8年に及んだ戦争を乗り切ったことで政権は安定し、統治は行き届いて中東第一の治安を誇り、西欧諸国と距離を置いているため、外国資本による開発とも無縁のまま、古き良きペルシア文化は暮らしの中に受け継がれていた。グローバリゼーションの圏外にあって我が道を行く、旅人にとってはこれほど情緒にあふれた国はなかった。世界の常識であるはずのクレジットカードがまったく使えず、マクドナルドもスターバックスもない国。ペルシア湾岸の成金国家などでは消滅してしまった古き佳きものが、開発から取り残されたイランでは受け継がれていた。
だが30年という年月は、とくに若年層が人口の大半を占めるこの国では世相を大幅に変えてしまった。実はイラン人というのは、政治運動のたびに強調される熱烈な集団礼拝の光景などとは裏腹に、さほどイスラーム信仰に濃密な民族ではなく、日々の礼拝をしない人々が実に多いことにも驚かされる。都市部ではとくにその傾向が強く、そうした背景があったからこそ、かつてシャーは女性のベール禁止令が出せたのであった。
イスラームの名の下に締め付けが強化されるその一方で、聖職者、保守層が特権階層を形成していることは広く知れ渡っていることでもある。アメリカと敵対し、核開発を進めていることで長年にわたって経済制裁が科せられており、イスラーム革命以前には中東一の工業国であったのに、今ではもっとも遅れた国になりはててしまっていることは、プライドの高さではひけをとらないイラン人の多くが渋々認めるところでもある。都市住民たちの多くは、聖職者による統治体制に今では”ノー”を突きつけたいのだが慎重だ。反体制の烙印による弾圧が容赦のないものであることは誰もが知っている。
現在の支配層が、失墜した権威を回復し民衆をどう束ねるのか、注目したい。
ユーラシアニュース 「地平線の彼方へ」-連載85