シェイフ・ロトフォッラー・モスク


 イラン中部高原の古都エスファハーン。サファビー朝の全盛期であった16~17世紀にかけて、”エスファハーンは世界の半分”と讃えらたほどに栄華を極めた。イスラーム建築の最高傑作といわれるイマーム・モスク、壮大なバザール空間、そして王宮をはじめとする当時の建造物は、400年昔の栄光をしのばせながら現在に息づいている。
 それら歴史的建造物が集中するイマーム広場の一角に、シェイフ・ロトゥフォッラー・モスクがある。レバノンの著名な聖職者であったシェイフ・ロトフォッラーを迎えるために建造したもので、彼の娘は、後に国王アッバース1世と結婚した。このモスクには、モスクと一体化した、祈りを呼びかけるための塔も中庭もない。民衆に対しては閉じられた、王族専用の祈りの場として造られた贅を尽くした空間なのである。イラン独得の鍾乳石飾りが美しい門をくぐると、モスク入り口にしては一風変わった薄暗い回廊が通じていて、角を折れると、そこに唐突にきらびやかな礼拝堂が現れた。
 広さはせいぜい直径8メートルといったところか、抜けるような青を基調とした華麗なモザイク模様が、天頂のドームに向かって八方からせり上がっていた。小さな彩色タイル片を巧みに組み上げた、唐草模様、花々、そしてコーランの聖句を綴った流麗なアラビア文字といったモチーフが一分の隙もなく壁を埋め尽くしている。それら彩色タイルの一片はどれも数センチ角の大きさに過ぎない。完成までに17年の歳月を要し、気の遠くなるジグゾーパズルのあげくに構築されたイスラーム宇宙空間なのである。絶妙の造形は、眺めていて溜息をつくしかない美しさであった。
 12月のある朝、キリッと張りつめた冷気のなかを、明かり取り窓から射した光芒が、神の息吹を想わせる温もりとなって壁面を移ろっていた。
 祈りの方角、すなはちメッカの方向を指すミフラーブと呼ばれる壁の窪みはあるものの、ここは、厳格な絶対神、アッラーにひれ伏すモスク本来の抽象空間というよりも、神のしもべたることの至福に浸り、美の陶酔に身を委ねる幻想の空間なのである。偶像の存在を赦さぬモスクには珍しく、ドーム天頂には孔雀の塑像が置かれてあり、正面側に立つと、尾羽に相当する部分が、淡い反射光を受けてモザイク上に輝くという、心憎い演出までなされてあった。
 これまでにイスラーム圏を広く歩き、様々な様式のモスクを観てきたが、神の威光への陶酔を想わせる、これほどまでの美に対する執着には、シーア派というイラン的なイスラーム信仰が濃厚な影を落としているといわれる。イランには、伝統的な信仰から発展したゾロアスター教が紀元前千年頃に興り、イスラームによって征服されるまで大いに栄えていた。光と闇が格闘し、最後には正義が勝利して来世において甦るという思想は、のちの諸宗教の発展に多大な影響を与えた。そうして培われた、思考においては論理的、感覚的には極度に幻想的なイラン人的な側面(井筒俊彦氏指摘)が、アラビアで誕生した”乾いたイスラーム”に奥行きと内面性をもたらし、シーア派という独自の信仰体系を組み上げていったのである。
 ちなみにシーア派をイランの国教と定めたのは、16世紀にサファビー朝を興して全国統一を成し遂げたイスマイール1世であった。

ユーラシアニュース「地平線の彼方へ」-連載89

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