地平線  リビア砂漠の旅-1


 リビア南部、フェザン地方の砂漠に行ってきた。サハラへの旅は1993年以来、そしてフェザンを訪れるのは、実に1975年以来のことだ。あの時は、ヨーロッパからランドローバーを持ち込んで、アルジェリア、ニジェールなどに半年以上滞在した後、リビアからチャドのチベスティー目指して南下しようとしていた。リビア南部の国境警察で、チベスティーは政情不安で危険だと説得され、かわりにチャドから北上してくるラクダキャラバンを追跡しながら北に戻っていったことだった。
 1993年にも、やはりチベスティーに行こうとして、ランドローバーでチュニジアから首都のトリポリに入ったが、リビアの工作員が1988年に起こした、パンナム機爆破事件に対する国連制裁が来週にも発令されるという、緊迫したタイミングにぶつかってしまった。日本大使館から即刻出国を求められ、泣く泣く退却していったという苦い思いがある。
 カダフィーのリビアがすっかり温和しくなり、観光誘致をはじめたのは10年ほど前からのことだ。だが日本で情報を集めようとすると、パスポートへのアラビア語併記だの、個人旅行の制約といった、面倒な話ばかりでうんざりしているところに、紹介されたトリポリの現地旅行社とコンタクトしてみると、何もしなくてよろしい、ビザは空港で取れるよう手配するから手ぶらで来ればいい、とのことだった。
 旅程など確認のEメールを6,7回交わしたあげく、ドバイ乗り継ぎでトリポリに到着。砂漠の町セブハに夜のフライトで降り立った翌朝9時には、ガイド兼コックとドライバーと3人で、キャンプ用具一式を満載したランドクルーザーで、地平線に向かい走っていたのである。最初の目的地は、リビア砂漠最奥部にある巨大クレーター、ワウ・アンナムス、2日間のドライブだ。昼過ぎまで走ったところで舗装道路が終わり砂の道に突入した。ナツメヤシの木陰で簡単な昼食をすませたあと、再び走り始めた私たちは、程なくして360度砂の地平線のなか、”永遠のサハラ”の真っ只中に突入していったのである。
 ベテランドライバーは、深い砂の地平を快調に飛ばしてゆく。タイヤが軟弱な砂を捉えるたびに、水上をゆくモーターボートが軽くバウンドを繰り返すのに似た、砂地独特の揺れを感じながら、久々に砂漠を走る興奮がよみがえってきたのだった。むかし自分でハンドルを握っていた当時なら、恐怖が先に立ち、たった一台ではとうてい乗り出してはゆけない地平線の道である。
 それにしても、サハラの旅がなんとイージーにできる時代になってしまったことか。1970年代から’80年代にかけての頃、サハラを自由に走ろうと思えば、まずロンドンでランドローバーの中古車を購入してヨーロッパを南下し、装備を調えて、マルセイユからフェリーでアルジェに向け出港するところから始まったものだった。
 季節は11月、まったく暑くはなく昼間でもせいぜい摂氏25度といったところか。極度に乾燥しているため、汗をかくこともなくいたって快適だ。陽が傾くにつれ肌寒くなってきた。夕刻まで走り、砂地にテントを張った。月は無く、闇が濃くなるにつれ、サハラならではの凄い星空が天空を覆いつくした。マットレスに横たわり、小さなグラスに注がれた俗にリビア・ウイスキーと呼ぶ濃厚な茶を、生のウィスキーさながらに、チビリ、チビリ煽ると、独特の甘さと苦みが臓腑に染み入った。こうして久々に、”サハラ”を呼吸する至福にひたったのだった。

ユーラシアニュース連載 90

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