VISA POUR L’IMAGE 2010 PERPIGNAN

ペルピニアン・フォトフェスティバル2010


 フォトフェスティバル(22nd International Festival Of Photojournalism )で写真展の招待を受け8月28日からフランスのペルピニアンに来ている。フランス西南部、スペイン国境に近く、カタルニア文化の影響を色濃く残した古都であるが、9月12日までの2週間、街はフォトジャーナリズム一色に染まる。PARIS MATCH、National Geographic 、GEOなど欧米の主要グラフメディアをはじめとする編集者、フォト・エージェンシー、そして、新人、ベテランを交えた大勢のフォトジャーナリストたちが世界中から駆けつけている。
 フェスティバルの呼び物は、世界報道写真展をはじめとして同時開催される27の写真展である。教会や中世然とした倉庫などを活用した8カ所の会場に分散するそれぞれの個展は、全紙サイズで50点を単位としており、それに規模の大きな報道写真展を加えると、招待作品だけで優に1500点に及ぶ大規模なものだ。それ以外にも通りのカフェの壁面などを使った自主制作展が到る所で開催されており、今年で22回目を数える主要な写真展には20万人が足を運ぶ。展示作品は、戦争、犯罪、環境問題などを扱ったシリアスで重量級の作品が多く、じっくり見てゆくとさすがに疲れる。だがどの会場でも、一般の観客たちが、キャプションを読みながら写真とじっくり向き合っており、欧米社会におけるフォトジャーナリズムの裾野の広さが、まだまだ健在であることを実感させられる思いである。
 金融危機以降、雑誌広告が細ったこととインターネットなどのメディアに押され、苦闘がささやかれる欧米のグラフ雑誌であるが、それでもミリオンに近い部数を保っているメジャー誌がフランスやドイツでは健闘している。グラフメディアが壊滅して、フォトジャーナリズムが死語と化してしまった日本から来ると、写真を受容する社会の厚みを実感させられる思いだ。
 そして夜になると、広場に設けられた特大のスクリーンを使った、趣向を凝らしたショーが夜ごと繰り広げられる。
 街を歩いていると、見ず知らずの人たちにしばしば呼び止められ、「砂漠を歩く少年の写真がすばらしい」とか「メッカにどうやって入ったのか」などと訊かれる。展示作品の解説パネルに写真家の顔写真があり、しかも滅多にいない日本人であることからすぐに顔が割れてしまう。日本では無いことだ。
 ちなみにフォトフェスティバルへの日本人写真家の招待は、3年前の長倉洋海さんに次いで私が二人目だという。実は1998年に一度招待されたことがあったが、日程が合わなかったうえに、ペルピニアン?フォトフェスティバルについて何の知識も持っておらず流してしまったという経緯があった。
 今はリタイアしているNational Geographic誌の編集者と14年ぶりに再会して旧交を温めるなど、様々な出会いを楽しんでいる。ペルピニアンも夏は暑いと聞いていたが、日射しは強いものの、酷暑の東京とは比較にならない涼しさで、夜は上着なしでは肌寒いくらいだ。

http://www.visapourlimage.com/index.do

雪山獅子旗 ラダックの旅-1


 2009年7月6日。標高4500メートル、中国(チベット)国境まで50キロのインド領チベット高原。
 眼下に、コバルトブルーの湖を抱くようにひらけた、高原砂漠の真っ只中。臨時に設けた祭壇に掲げられたダライ・ラマ肖像と向き合って、チベットの国歌が高らかに歌われている。そして頭上には、たった今ポールに上ったばかりの真新しい国旗”雪山獅子旗”が、抜けるような天空に鮮やかに映えわたる。
 失われてしまった雪の国「観音菩薩の浄土」を讃えて歌っているのは、300人ほどのチベット難民たちだ。遊牧を生業としながら、この近くの谷あいに集落をなしている。全員が起立し、帰るに帰れなくなった故国を間近に臨みながら、観音菩薩の化身、ダライ・ラマ14世の74回目の誕生日を、彼らはこうして厳かに祝っている。
 中国の強権支配下にあるチベットでは、チベット国旗の掲揚は重罪に相当する。そのうえ現在では、ダライ・ラマの肖像写真を所持しているだけで犯罪者扱いにされる。チベットを広く歩き、深くて終わりのないその苦悩を知る一人として、ここがインド領であるとはいえ、まぎれもないチベット高原に、禁断の”雪山獅子旗”が堂々とはためく様は胸に迫りくるものがあった。
北インドのラダックに来て10日ほどになる。ヒマラヤ一円に広がるチベット文化圏を広く見てみようと思いつき、俗に”小チベット”と呼ばれているラダックに来てみた。私がこの地を訪れた目的は、伝統的に受け継がれてきたラダックのチベット仏教をじっくり見たいと考えたからだ。歴代ダライ・ラマによって統治されてきた仏教国チベットが1949年以来中国の侵攻を受け、仏教への弾圧が強まるなか、1959年にダライ・ラマがインドに亡命して、チベット国が消滅したことは広く知られている。その後吹き荒れた文化大革命によって、信仰は禁じられ、6000カ所あったチベットの僧院の大半が破壊されてしまった。1980年代以降に僧院の多くが再建され、信仰も自由になったが、飽くまでも中国共産党による管理下という括弧付きの自由に過ぎない。そのうえ最近は、流入した多くの漢人を中心に、開発が急速に進み、仏教信仰を軸とした伝統チベット文化は激変を遂げつつある。
 チベット本土を広範囲に歩いたのは20年近く前のことだ。2000年以降東チベットにも行っているが、とくにこの5~6年来、中国の経済発展がもたらした急速な開発により、チベット本土は激烈な変化の波に晒されている。チベットはユニークな土地だ。極限高地の厳しい風土に培われた生命観を核心とするチベットの仏教文化は、物欲という麻薬に汚染されてしまった混迷の現代世界を映してみる格好の鏡であると私は考える。決して滅ぼしてはならない、かけがえのない人類の知恵なのである。中国支配地域の外にもチベット文化圏は広がっている。この際、自由に息づいているチベット文化の様々な顔を見てみようと思ったのである。
 国を失ったダライ・ラマにとって、熱烈な仏教信仰の地であるラダックは、重要な橋頭堡となっている。レー郊外には頻繁に訪れる離宮が設けられており、またラダック各地を訪れ、大規模な法要や説法を毎年のように開催している。

ユーラシアニュース 連載96

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