石窟寺院 ラダックの旅-2


 色づいた大麦が涼風に揺れる棚田のあぜ道を、清流ほとばしる水路に沿って登って行くと、ポプラ並木が途切れて開けた視野のなかに、砂礫むき出しの急峻な崖が立ちはだかっていた。日本語のガイドブックだけを頼りに、半信半疑のガイドにそばの一軒家に聞きに行ってもらうと、石窟はたしかにこの崖の上にあるという。雪解け水で喉をうるおして小休止した後、私たちは斜面の登りにかかった。距離にして200メートルにも満たない急斜面だったが、容赦なく照りつけるなか、標高3500メートルの山道ではたちまち息があがり、最後は這うようにして石窟の入り口に辿り着いたのだった。
 ドアのない小さな入り口をくぐった途端、そこに出現したあまりに意外な光景に息を呑んだ。なんと色鮮やかな、西方浄土を思わせる壮麗な壁画が、こんな場所にひっそりと息づいていたのである。大人の身長の高さで、広さはせいぜい6畳間といったところか。壁面はすべて壁画で埋めつくされている。さらに意外だったのは、灯明台に小さなバター灯明がひっそりと灯されてあった。つい先刻、祈りに訪れた村人が灯していったに違いなかった。石窟の存在をはじめて知ったというガイドも、これほどの石窟が、今も祈りの場として脈々と受け継がれてきたことに不意を突かれている様子だった。
 日本語のガイドブックによると、石窟寺院の名前は、ニダプク・ゴンパ。それにしても、旅行人という版元から出ている、『ラダック』ガイド(著者・高木辛哉)における僧院情報の徹底さには恐れ入る。主要な僧院はすべて図解のうえ、仏画諸尊の名前を微に入り細に入りすべて網羅してあり、このニダブク・ゴンパの壁画の場合は、制作は15~16世紀頃のものであろうことにも言及している。写真を観ればわかるように、天井は砂礫むき出しの荒々しい石窟にあって、漆喰を塗り固めた壁面に、なんとも色鮮やかな浄土世界が描きこまれていることか。
 ニダプク・ゴンパのあるこの場からインダス川で隔てられた対岸に、世界的な仏教美術の宝庫である、アルチ・チョスコル・ゴンパがある。チベットの仏教は10世紀にいったん衰退したのち、西チベットに成立したグゲ王国を中心に復興されてゆく。アルチ・チョスコルには、その時代背景のなかで制作された、一級の曼荼羅や塑像が数多く残されている。ただ残念なことに、3年ほど前から同ゴンパでの撮影は全面禁止されてしまっている。
 一方、グゲ王国文化を色濃く残したチベット側のツァパランなどには、中国による支配以前、壮麗な寺院が何カ所も残されていたが、それらを含む、全チベットにあった6000カ所の寺は、文化大革命の号令一下、一部を残してすべて破壊し尽くされてしまった。1991年にツァパランを訪ねたことがあるが、涅槃の笑みを浮かべた、観音菩薩をはじめとする美しい塑像たちが、胴体を割られ、腕をもぎ取られたまま薄暗い堂内に鎮座している様は、政治運動の狂気に翻弄された人間たちの愚かさを告発しているかのようだった。
 俗に”小チベット”と呼ばれてきたラダックでは、むろん宗教弾圧など起こるわけはなく、どこの寺院も創建以来の姿で手厚く守られてきたことは言うまでもない。ただラダックは人口も少なく、チベットと比較すれば寺院も小規模であり、その点でも、政治運動の狂気によって失われてしまったチベット文化のスケールを、ラダックに来て改めて認識させられた次第である。

ユーラシアニュース 連載97

フォトフェスティバル続報


 9月1日からプロフェッショナル週間が本格的にスタートして、参加する写真家たちの数もどっと増えた。昼間は、テレビ、新聞のインタビュー、そしてギャラリートークをこなして、夕刻になると、National Geographicをはじめとするメジャー雑誌主催のカクテルパーティーに出かける。写真家、編集者たちで溢れかえるその席で、D,D,Duncanと Jhon Morrisから私の写真展を絶賛されたのには驚いた。D,D,Dは、LIFE誌の特派で朝鮮戦争を取材し、数々の名作を残したことで知られているが、その折にニッコールのレンズを使ってその優秀性を証明してくれたことで、日本のカメラが世界に飛躍するきっかけを作ってくれた、カメラ業界にとっては大恩人でもある。もう一人のJohn Morrisは、LIFE誌をはじめとするグラフジャーナル編集の先駆者である。ふたりとも93歳、94歳 という超高齢にもかかわらず、フォトジャーナリズムの熱気に惹かれてPerpignanまで来ていることが凄い。
 翌日にはLE FIGARO誌のパーティーがあった。ごったがえしている会場に行くと、驚いたことに、刷り上がったばかりの最新号が見開いてずらりと並べられてあり、なんとその写真が、私の「砂丘を歩く少年」なのである。FIGAROが「NOMACHI特集」をやるとの不確かな情報を出発前から聞いてはいたが、8ページの特集記事をパーティー会場で、本人がはじめて目にするなど、驚きあきれるほかはない。他にもSunday Times誌、PHOTO誌にもナイル、メッカが見開きで掲載されており、その他数え切れないくらいに露出していたことは、今年のPerpignanで私の仕事がかなりの注目を集めたということだろう。
 大御所ではWilliam Kleinが、杖をつきながら写真展会場をじっくりまわっており、そして多くの若手たちが、作品とパソコンを抱えて、各通信社のブースや編集者に食い下がって売り込みを図っている。そして毎夜9時50分からは、幅30メートルはあろう巨大スクリーンで、ハイチ震災やメキシコ湾原油流出、アイスランドの火山噴火をはじめとする”生写真”やD,D,Dの朝鮮戦争が圧倒的迫力で映写される。
そして様々な賞の受賞者たちが、各々8000Euroの賞金小切手を高々と掲げて、晴れがましくスポットライトを浴びる。
 近年になく刺激に満ちた一週間だった。日本の若い写真家たちにもぜひ参加してほしいものだと思う。
 —– 9月5日、暮れゆく地中海沿いを、PerpignanからBarcelonaに向かう列車のなかで—-

David Douglas Duncan

William Klein