パッド・ヤトラ ラダックの旅-3


7月1日午前6時過ぎ、ラダックの名刹、ヘミス僧院から数キロ離れた深い谷あいの道筋。日の出前、ヒマラヤの冷気が張りつめるなか、大勢の信者や村人たちが歓迎準備に立ち働いていた。道に沿って幟が立ち、護符を結んだロープが張られ、吉祥を意味する独特のデザインを、男たちが石灰を使って、慣れた手つきで路上に描いてゆく。
そしてカラフルな民族衣装をまとった女性たちは、ペラックと呼ばれる、長さ1メートル近いフェルト地に無数のトルコ石を飾った、ラダック独特の頭飾りを、独りでは難しいとみえて、仲間たちの手助けを得ながら、入念に装着している。年に3~4回だけ、よほどの晴れ舞台でのみ飾るペラックは、母から娘に代々受け継がれてきた、高価な家宝なのである。装身具としては見るからに大げさだが、浅黒く日焼けしたヒマラヤの女性たちの佇まいに、トルコ石の青が風格を添える。
ヤトラは、サンスクリット語で、旅や行進を意味する言葉で、「パッド・ヤトラ」は聖域巡礼を意味している。約2時間後に到着する巡礼団は、チベット仏教ドゥク派の最高位活仏である、ドゥプチェン・リンポチェ(第12代ギャロワン・ドルッパ)に率いられた一行で、じつに42日間をかけて5000メートルを超す雪山をはじめとして、ヒマラヤ山中の踏み分け道を越えてきた600人の僧尼からなる大規模なものだ。42歳になるドゥプチェン・リンポチェは、ネパールのカトマンドゥを本拠としているが、彼の先代は言うまでもなく、中国の弾圧を逃れたチベットからの亡命者である。
どの宗教にあっても巡礼の目的は、罪状消滅、心身の清めが第一義であるが、パッド・ヤトラでは、偉大な先人たちが修行を積んだ高山の庵や洞窟などの聖跡への巡礼と、谷あいの村人たちへの説法を主要な目的としたものだ。それに加えて、ハイカーたちが捨てていった、ペットボトルや空き缶類の回収といった、聖域清掃を兼ねたものでもあるのだ。連日のキャンプのために300頭もの馬が荷運びをし、その世話のために300人を超すボランティアが付き従った巨大な巡礼団が組織されているのである。
午前8時過ぎ、正装の僧侶たち一行が列をなし、香が焚かれ、聖なる綿布であるカタックの束を抱えた男たちが出迎えるなか、谷あいの道を長蛇の列が徐々に近づいてくるにつれ、「オン・マニ・ペメ・フム」の祈りの大合唱が地鳴りとなって沸きあがる。やがて列の中ほどに、日傘に守られ、真っ黒に日焼けして笑みをたたえた、ドゥプチェン・リンポチェの姿を仰ぎ見た信者たちの多くは、合掌し歓喜の涙を滲ませながら迎えていた。チベット仏教では、ダライ・ラマを筆頭とする高僧個人への帰依心がことのほか濃密であり、どこの家庭の仏壇にも帰依する高僧たちの写真が祭られ、日々祈りが捧げられている。こうして、困難な巡礼を貫徹したドゥプチェン・リンポチェの姿を間近に仰ぐことができ、放心状態で、溢れでる涙のなかでただただ合掌するしかない女性信者たちの帰依心の深さに接していると、不覚にも、ファインダーを覗いている当方の目頭にも熱いものが伝わってきた。
僧尼の一行のなかには、ヨーロッパや東南アジアからの参加者も多く、チベットを追われたことで世界に広がったチベット仏教の並々ならぬ浸透力を見せつけられる思いだった。ドゥプチェン・リンポチェ到着の翌日、へミス僧院ではラダック最大の祭礼が催された。

ユーラシアニュース 連載98

野町和嘉オフィシャルサイト