聖地をめざす人々


以下は、現在、東京都写真美術館にて開催中の「聖地巡礼」展の挨拶文です。写真展図録には収録されておらず、観覧者の中に、そのことを残念がっていた方々がいたためここに収録いたします。

聖地をめざす人々

イスラームの聖地であるアラビアのメッカから、カトリックの総本山ヴァチカンへ。熱烈な仏教信仰が息づく極限高地チベットから、エチオピアとアンデスに受け継がれた独特のキリスト教世界まで。そして、アジアの信仰の源流であり、多彩なインド世界を貫く、祈りの川ガンガー(ガンジス)へと、地球上に息づく濃密な宗教聖地を巡ってきた。
私が宗教と向き合うきっかけは、20代半ばで訪れたサハラでの体験だった。乾燥の極地に点在するオアシスで暮らす人々にとって、生命線はひとつの泉である。枯れることのない泉こそは神の賜物であり、生かすも滅ぼすも神の意志ひとつであるとする明解な信仰がそこにはあった。人々の祈りには、日々、無事に生かされていることへの感謝が滲み出ていた。
一方で、砂と風と星々の煌めく砂漠は私を魅了した。地平線のなかでキャンプした日々、満天の星空を眺めながら、この天空はるかに宇宙的スケールですべてを司るなにかが存在するかも知れぬ、という思いを受け入れるのに違和感はなかった。聖地とは、超越した或る存在と向き合い、心をひらく空間である。その点では私がこれまで巡ってきた土地は、私自身にとってもかけがえのない聖地であったと言える。祈りのかたちは様々であるが、巡礼を終えて達成感に輝くその表情は宗派を超えており、心の琴線にふれた充実感にあふれていた。
一方で私たちの社会は、この数十年来、生産性の亡者と化し、宗教的な空間を非合理なものと決めつけてひた走ってきた。その結果、世代を超えて受け継ぐべきことの核心が見えにくくなっている。とくに最近頻発する、突発的な心の崩壊によって引き起こされた事件の異様さを突きつけられるたびに、生きる枠組みが容易に見えなくなっているこの社会の難しさを思い知らされる。
宗教について語るとき、私は”宗教”を”家族”という言葉に置きかえてみれば平易に理解できるのではないかと思う。濃密な家族の絆が社会の核となっているイスラーム世界を見ているととくにそう思わされる。どの宗教であれ、教えていることは、世代を超えて受け継がれてきた生きるエッセンスの集積そのものなのである。
40年にわたって撮り続けてきたこれらの作品を、混迷の現代を映す、ひとつの合わせ鏡としてご覧いただければと思います。

野町和嘉

野町和嘉オフィシャルサイト

聖地をめざす人々” への1件のコメント

  1. 「聖地巡礼」の写真展に伺わせていただきました。
    本物を目の当たりにし、ショックを受け、せっかく御本人をお見かけしたのに何も言葉をかけることができませんでした…。
    あそこまで被写体に入り込み、向き合うことができる野町さんの人柄、写真家としての覚悟を感じ、ただただ圧倒されました。
    写真を撮る一人の人間として、野町さんの写真と出逢えたことに心から感謝いたします。
    野町さんの写真が、少しでも多くの方の心に触れることを願います。

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