2009年7月6日。標高4500メートル、中国(チベット)国境まで50キロのインド領チベット高原。
眼下に、コバルトブルーの湖を抱くようにひらけた、高原砂漠の真っ只中。臨時に設けた祭壇に掲げられたダライ・ラマ肖像と向き合って、チベットの国歌が高らかに歌われている。そして頭上には、たった今ポールに上ったばかりの真新しい国旗”雪山獅子旗”が、抜けるような天空に鮮やかに映えわたる。
失われてしまった雪の国「観音菩薩の浄土」を讃えて歌っているのは、300人ほどのチベット難民たちだ。遊牧を生業としながら、この近くの谷あいに集落をなしている。全員が起立し、帰るに帰れなくなった故国を間近に臨みながら、観音菩薩の化身、ダライ・ラマ14世の74回目の誕生日を、彼らはこうして厳かに祝っている。
中国の強権支配下にあるチベットでは、チベット国旗の掲揚は重罪に相当する。そのうえ現在では、ダライ・ラマの肖像写真を所持しているだけで犯罪者扱いにされる。チベットを広く歩き、深くて終わりのないその苦悩を知る一人として、ここがインド領であるとはいえ、まぎれもないチベット高原に、禁断の”雪山獅子旗”が堂々とはためく様は胸に迫りくるものがあった。
北インドのラダックに来て10日ほどになる。ヒマラヤ一円に広がるチベット文化圏を広く見てみようと思いつき、俗に”小チベット”と呼ばれているラダックに来てみた。私がこの地を訪れた目的は、伝統的に受け継がれてきたラダックのチベット仏教をじっくり見たいと考えたからだ。歴代ダライ・ラマによって統治されてきた仏教国チベットが1949年以来中国の侵攻を受け、仏教への弾圧が強まるなか、1959年にダライ・ラマがインドに亡命して、チベット国が消滅したことは広く知られている。その後吹き荒れた文化大革命によって、信仰は禁じられ、6000カ所あったチベットの僧院の大半が破壊されてしまった。1980年代以降に僧院の多くが再建され、信仰も自由になったが、飽くまでも中国共産党による管理下という括弧付きの自由に過ぎない。そのうえ最近は、流入した多くの漢人を中心に、開発が急速に進み、仏教信仰を軸とした伝統チベット文化は激変を遂げつつある。
チベット本土を広範囲に歩いたのは20年近く前のことだ。2000年以降東チベットにも行っているが、とくにこの5~6年来、中国の経済発展がもたらした急速な開発により、チベット本土は激烈な変化の波に晒されている。チベットはユニークな土地だ。極限高地の厳しい風土に培われた生命観を核心とするチベットの仏教文化は、物欲という麻薬に汚染されてしまった混迷の現代世界を映してみる格好の鏡であると私は考える。決して滅ぼしてはならない、かけがえのない人類の知恵なのである。中国支配地域の外にもチベット文化圏は広がっている。この際、自由に息づいているチベット文化の様々な顔を見てみようと思ったのである。
国を失ったダライ・ラマにとって、熱烈な仏教信仰の地であるラダックは、重要な橋頭堡となっている。レー郊外には頻繁に訪れる離宮が設けられており、またラダック各地を訪れ、大規模な法要や説法を毎年のように開催している。
ユーラシアニュース 連載96
いつも素晴らしい写真を 感動しながら拝見しています。
還暦女子です。笑
砂漠やイスラム国家、難しい被写体を見事なアングルで表現されるのは
大きなご苦労あってこそ でしょうね。
お願いがあるのですが・・・インドのジャイサルメールの写真集を ぜひ
お考え頂きたく・・・。
あの地は タール砂漠に続く 乾燥地。
大変 魅惑的な場所です。
黄金色の街や 美しいハヴェリー、濃い色彩のサリー、独特のカラーが
あります。 今、日本に その地の写真集が無いようなので
残せるなら今、と言う気がします。