岩窟聖堂の祈り

 

岩窟教会で知られる聖地ラリベラから山道を4時間走り、さらに断崖の踏み分け道を1時間半ほど歩いた絶海の孤島のような突端に、デブレ・アブナ・アーロンがあった。聖アーロン修道院(デブラ)とはいっても、そこは茫々と茂る草むらの中に、傾いた藁葺き小屋が5つ並ぶだけの侘びしいたたずまいで、わずか4人の修道士が寝起きしているだけであった。
あちらこちらに根を張った糸杉とオリーブは、樹齢千年に達しているかと思われる古株ばかり。燦々と降りそそぐ光のなか、奇怪によじれた枯れ枝では、まるで人工着色したような赤や緑の原色の小鳥たちが飛び交っており、そこは平安に満ちた不可思議な廃園という趣であった。
洞窟の聖堂を観せてほしいというと、午後の祈りの時間まで待つようにと言われた。
聖堂は、自然に出来た岩の洞窟を10メートルほど進んだ岩窟の中にあった。修道士のひとりは全盲であったが、身体で覚えているのであろう、暗闇の岩屋を跳ぶように進んでゆく彼のうしろを、私たちは手探りで歩いた。清めの香が薫かれ、天井にうがたれた縦穴からの仄かな明かりを頼りに、羊皮紙の聖書を掲げ祈りがはじまる。羊皮紙に手書きされた聖書は手垢に黒光りしており、何百年と使い込まれた祈りの気配が染みこんでいるかのようであった。
そして祈りがはじまって15分も経った頃、堂内がにわかに明るくなったかと思うと、突如として一条の光が垂直に射し込んできたのであった。縦穴を貫いた光が古色蒼然とした羊皮紙の表を徐々に移ろってゆく。修道士たちの祈りの声が、熱にうかされたように高まりしばらく続いていたかと思うと、十分ほどで光はぷつりと消えて聖堂は元の薄闇に戻ってしまった。劇的な光の演出であった。
祈りを終えた修道士たちの表情に、今日もまた、神の息吹に触れた安堵のようなものが見てとれた。修道士たちの言うには、外でどんなに激しく雨が降ってもこの縦穴からは一滴の雨も落ちてはこないという。岩窟の迷路を奥に辿ってゆくと、岩の窪みのそこここに白骨が放置してあった。歴代の修道士たちである。世界の涯に籠もって神の声に耳を傾けてきた人たちの末路の姿なのである。
エチオピア北部にはこのような岩窟の修道院や教会が無数に存在している。いずれも歴史遺産などではない現役の聖堂であって、朝な夕なに、蜜蝋のろうそくに灯されたか細い灯明を頼りに、聖書時代さながらの祈りが捧げられている。飢餓、貧困、部族抗争、、、創世記以来変わらぬ人の世の矛盾が刻印された土地にあっては、祈ることでしか交感できぬ深い闇と歓喜が幾重にも層を成しているのである。

*ユーラシアニュースに8年にわたって連載した「地平線の彼方より」は、先月100回をもって終了しましたが、連載終了を惜しむ声が多く、また初期の頃の作品を読んでみたい、との要望が寄せられました。そのためこのページで毎月一本のペースでしばらく掲載を続けることにいたします。

野町和嘉オフィシャルサイト

岩窟聖堂の祈り” への1件のコメント

  1. 始めまして。休日に趣味で海外に撮影に行っています。 あまりに素晴らしい写真に鳥肌が立ちました… 今までにインド、モロッコ、カンボジアに撮影に行きましたが、次の撮影場所 決まりました! エチオピアに行きます!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です